佐藤光昭氏Mitsuaki Sato
ニコライバーグマン株式会社CFO最高財務責任者
1954年、長野県生まれ。1979年出光興産株式会社入社。1989~92年Idemitsu Apollo Corp(出光興産の100%子会社、ニューヨーク)で研修等。経理部次長、上場プロジェクトリーダー、経理部主幹部員、電子材料部事業統括マネジャー等を経て、2014年Global OLED Technology LLC(米国バージニア州)副社長・CFO、2015年出光興産の同事業からの撤退により帰国。同年出光興産退職。2016年、株式会社ニコライバーグマンCFO最高財務責任者。フロント産業株式会社監査役も務める。
自分が真に貢献できる道
―入社の経緯から教えてください。
きっかけはエージェントからの紹介でした。ニコライバーグマン社は設立15年ほどの会社ですが、2015年頃から急拡大し、1~2年で店舗は倍近くに、従業員数も100名以下から150名近くに増えていました。必要な資金量も増え、会社としての管理体制もつくらなければならない時期でした。財務の専門家がいなければ会社を回していけない状態でした。私は出光興産に36年間勤めましたが、退職後は「発展途上の会社の手助けをしたい」と思っていました。
実は当初、エージェントからは、「何人か紹介したけれど、全部ニコライさんに断られてしまった。佐藤さんの希望(年収)額とは少し違うけれど会ってみてくれませんか」と言われて会ったとき、「相当困っている」と感じました。道は他にもあったと思いますが、体制が整っている上場企業では、誰がやっても大差ありません。しかし小さな会社の財務担当はそうはいきません。もともと花が大好きだったこともあり、「私が入れば貢献できる」と思い、入社を承諾しました。
―入社後、印象深かったことは?
「よく今までもっていたな」と思ったことですね(笑い)。ニコライは優れたアイデアマンです。しかし、そのアイデアを事業化する人間がいなかった。急激に事業規模が膨らんだので、今までの資金量では足りなくなっていた。入社した10月が決算月でしたから、まずは翌年度の年間事業計画をつくり、1年分の資金繰り表をつくって、銀行へ借入の相談に行きました。11月に決算書をもって再び訪れても貸してもらえるのは信用保証協会の残り枠だけ。しかし、幸いなことに拡大した店舗で売上が伸び始め、月次の決算が好転してきた。夏前に好転した数字を持って銀行を回り、前年比の数字を見せながら融資のお願いをしたところ、一行からOKが出て、政策金融公庫も貸してくれた。これで資金の心配なしで、いろんなことができると安心しました。
「手が動かせる」ことが必須
―互いによい巡り合わせでしたね。
いい選択をしたと思います。スタートアップ企業は、採用時、若い人財を集めようとする傾向がありますが、経験の浅い企業にこそ、経験豊富で実務に通じた人財が必要です。そうでないと、外部の専門家頼りとなり、大きな費用が生じてしまう。ニコライバーグマンでは、私が入るまで、その費用が年間1600万円かかっていました。それが今は税務申告のみで100万円程度です。そうした構造になっているのは当社だけではないと思います。
―シニアの方々にもっと活躍してもらうには?
人材紹介事業者がシニアに焦点をあてて、必要としている企業につないでいく。「今外注している部分を内製化すれば、これだけの成果がでる」と企業側にアドバイスしていく機能が今の日本に求められていると思います。
雇われる側としては、まずは「手が動かせる」ことが必須です。例えば、決算書、事業計画書や資金繰り表、銀行に説明する資料などが自分でつくれることが求められます。そのためには、若いうちから専門性を身につけることが大事。それも、おそらく一つでは足りない。ニコライバーグマンでは契約書もすべて私が見ています。クライアントに海外のハイブランドやホテルがありますから、契約書の半分は英文です。出光興産時代、原油は海外から買ってくるので、契約書はほとんど英語でした。それを読んでチェックしなければ仕事にならないから懸命に勉強したことが、役に立っています。もちろん世の中変わっていくし、腕も鈍ってくるので勉強は続けています。
加えて、会社の外につながりをつくっておくことがとても大事です。私が今のような考えに至ったのは、とある社外プロジェクトに参加したり、NY時代、ゴールドマンサックスへ1年間研修に出してもらうなど、外の人と付き合う機会を持てたからです。地域の子ども会の会長もやりました。そうした経験がものの見方を広げてくれると思います。
―向上心、チャレンジ精神を維持し続ける秘訣は?
私が今の状態を保てているのは、53歳から始めたマラソンのおかげだと思います。当時、仕事はマネジメント中心でワクワク感がなく、挑戦することもなくなっていました。「これはまずい!」と感じて、始めたのがマラソンでした。マラソンは年間目標を立て、準備をして、達成していく。達成したら、次の目標をつくり、準備をして、クリアしていく。チャレンジの繰り返しが身体に染みついているので、新しいことを始めるのが苦にならないし、挑戦する面白さを仕事で感じられているのだと思います。
マラソンは準備の競技です。どんな準備をしたかで結果が決まる。スタートラインに立った時、9割方ゴールタイムは決まっている。残りの1割は準備を活かすレースマネジメントです。目標を立て、計画を立て、実行していくと。これは仕事と同じです。さらに、長く走ろうと思えば正しい知識をもってトレーニングしなければ故障しますから、私は大量の本を読んで知識を取得し、ランナーズマイスターのシニア資格(市民ランナー指導資格)も取りました。その中からよいと思ったものを自分で試してみて、取り入れるかどうか決めていく。これも仕事の大前提です。新しい情報が入ってきたときは、ちょっと試してみて、危ないと思ったら辞め、いいものだけを残していく。これらは危機管理の基本でもあるでしょう。
生きる「信条」をつくる
―読者にメッセージを。
若い方々には、自分の生きる「信条」をつくること、どういう人間として一生を終えたいかを考え、決めて、実行したら良いと思う。スティーブン・コヴィーの『7つの習慣』(キングベアー社刊)でこうした考えに出会って、私は「自分はなんのために生きるのか」を考え、「周りの人の役に立って喜んでもらうために生きているのだ」と決意しました。コヴィーは「インサイドアウト」という言葉も使っています。自分からコミットする。自分が変わることで、同じことをしていても、見方や考え方がガラリを変わります。そうすると人生とても生きやすくなると思います。
―本日はありがとうございました。