トピックス

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2017 Autumn

この記事は2017年11月発行の「JBA JOURNAL」に掲載されたものです。内容及びプロフィール等は掲載当時の情報となります。

日本の会社で働き、
身につけた当たり前が、
世界で勝てる力となる。

村田幸伸氏

村田幸伸氏Yukinobu Murata

モーゲンスターン・シカゴ 代表
米国公認会計士

大学卒業後大手建設会社入社。2002年、米国公認会計士試験合格を機に渡米しロサンゼルスの現地会計事務所に勤務。2003年、現地で独立し2016年からシカゴに本拠地を移転。米国中小企業のCFO代行業務を軸に活動中。米国公認会計士。

29歳で渡米、会計事務所での厳しい現実

―ご経歴を教えてください。

大学卒業後、大手ゼネコンに入社して7年間務めました。最初の3年は営業から現場までローテーションで配属され、最後の4年間は法務の契約グループで契約書の作成に携わっていましたが、会社に勤めながら資格をとって専門職になりたいと考えるようになり、できるだけニッチなところで勝負したいと考え、見つけ出したのが米国公認会計士(USCPA)でした。資格をとったのが今から16年前、29歳のときでした。
当時、日本でのUSCPAの認知度は低く、29歳という年齢もあり日本での転職は難しかった。残された道は米国しかないと思い、下手な英語で履歴書をつくって米国の会計事務所に200通ほどeメールで送りました。返事が来たのが10社程度で、OKを出してくれたのが日本人がオーナーを務めるロスアンゼルスの会計事務所でした。このまま日本の会社でサラリーマンを続けるか、ロスの会計事務所に行くか道は二つに一つ。米国に行くことに迷いはありませんでした。
ロスの会計事務所は日本企業の米国法人を顧客としていたので、基本的にお客様は日本企業でした。仕事の内容は、税務申告の仕事が主で毎日申告の書類が机に積みあがっていきました。採用してくれたのはありがたかったのですが、給料はカリフォルニア州の最低賃金(8・25ドル/時)から始まるという安さ。しかも最初の500時間は「こちらが教えるのだから」という理由で無給でした。
1年後、独立して日本企業を顧客としたビジネスを行おうと考えましたが、そう簡単に顧客は獲得できません。会計士という本業の傍ら、ロス在住の日本人を対象にUSCPAの講師をしながら会計の顧客を増やしていきました。そうこうしているうちに現地の日本企業の減少が始まり、顧客も米国に会社や不動産を保有する日本の個人のお客様が増えてきていたこともあり、帰国して日本で個人の資産家の方々の米国税務申告のお手伝いを行っていました。

CFO代行業という仕事

―現在のCFO代行業を始められた切っ掛けは?

転機は「オランダと米国(シカゴ)にある現地法人のコントロールが難しい。手伝ってくれないか」という、あるお客様からのオファーでした。自分で戦略を練って狙おうとすると往々にしてはずれますが、ご縁あってお誘いいただいたものはだいたいうまくいきます(笑い)。
当初は出張ベースで仕事をしていましたが、シカゴの会社がライバル会社を買収する案件を手伝って以降、仕事が増え、再び渡米してシカゴに拠点を構えました。現在は、日本企業の子会社(米国、英国、ドバイ)3社のCFOをメインに、それ以外の米国会社のコンサル業務を行っています。

―CFO代行業の具体的内容は?

日本企業の現地法人をメインに、従業員数15?40名程度の会社のCFO業務になります。管理業務のシステム化や自動化が一つのミッションですが、さまざまなデータをTableau などのBIツールを使って経営データに変え、現法の社長や日本本社が経営判断する材料を絶えず提供していくことが主な業務になります。
業務の自動化も進み余力も出ています。これまで不備であった経理面、管理面に全く気を遣わず、安心して営業に当たることができる状況がつくれているので、現法の社長はじめ現地の人には喜ばれていると思います。

―日本本社は日本人がCFOをやってくれるのは安心感がありますね。

現法の社長も現地の人で日本人は誰もいません。資金と管理の部分を日本人が握っているのは、一つの安心感につながると思います。ビジネスは現法の社長と相談しながら進めていきますが、報告は日本にあげます。「日本の会社の人」という立場で仕事をしている感じがありますね。日本とは毎日、連絡を取り合い、メールやSkype でのやりとりも頻繁です。何か問題が起これば、日本と打ち合わせしながら進めていく、という感じです。

日本の会社での経験が最大の武器

―日本人が米国の会社でうまくやっていくポイントは?

日本人として当たり前のことを当たり前に行うだけで、非常に重宝されます。例えば、「明日までにやります」と言えば、きっちり約束は守る。正確な仕事をする。ちょっとした気働きができる。やったことがないことでもなんとかやりきる。そんな日本では普通のことが、米国基準では普通ではないんです。

―日本企業の経理財務の人が赴任するときは自信をもっていい?

そう思います。日本企業の方が現法に赴任されて社長が米国人や英国人の場合、英語が堪能でないと不安があると思いますが、日本人が普通に頑張ればたいていの人には勝てます。語学力に関係なく「仕事ができる人間」と相手は感じるはずです。そこは私も驚いた点です。ただし、現地で1年くらい経つと悪い意味で現地化して日本人の良さを失ってしまう場合があります。私もそうならないよういつも気を付けています。現地のいいところは合わせながら、日本人の資質を忘れないよう心がけています。
日本の会社で7年間働き、厳しく教育していただいたことが今の私の最大の武器だと思っていますし、日本基準のクオリティーでビジネスができているというのは、世界で勝てる力をつけていることだと思います。

―譲らない一線として心がけているところは?

仕事で必要なことは結構、はっきりしています。それをやるまで根気強く「やった?」と詰めていく。そこは、たとえ相手が現法の社長であっても全く譲らない。いろいろ自己主張してきますが、一通り相手の言い分にも耳を傾け、「そうか、わかった。でも、これはやるんだ」と。一つひとつ反論していると火に油を注ぐことに。相手が困っているタイミングで助言するなど、理解を促しながらやっていくよう心がけています。

―海外で仕事がしたいと考えている人にアドバイスをお願いします。

私が最初に渡米したときのように自分で現地の会社に就職しようとすると、条件面や語学力等、かなり厳しいと思います。それよりも、日本の会社で今はドメスティックだけれども国際化をはかっている会社で、「将来、海外に出たい」という意思を伝えつつ、働くのが一つの道だと思います。実際、日本のUSCPA仲間で、5年ほど前まではUSCPAをとっても認知されなかったと言っていた人たちが、一気にみんなパリやシンガポールなど海外に赴任しています。会社が海外を向いた瞬間に、そうしたチャンスが出てくると思います。

―本日はありがとうございました。